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官僚
今回は、石田三成に焦点をあてて私なりの見解の人物評を記したいと思います。(^ー^*)ゞ
石田三成と言えば関が原の合戦での西軍の実質的な総大将であり豊臣家の懐刀として辣腕を振るった事で知られています。又官僚の悪弊の部分が表現されている武将としても有名です(^ー^*)ゞ
三成事佐吉は、お寺の小姓の時秀吉にお茶を出す際にだんだん熱いお茶を出し機転が利くと秀吉に見出されたと言われる程、幼少の時から頭脳明晰とされています。又内務官僚の事を馬鹿にされまいと島左近を召抱えその際自分の知行を半分与えたと言う逸話も残っています。
その際、治部少に過ぎたるものが二つあり 島左近に佐和山の城と言う唄が残っていて三成の器量の卓抜さと偉大さを語っています。そして、内務官僚として太閤検地や刀狩をして政権の基盤をつくり九州の島津氏等に指導し?感謝されている書簡が残っているほどですから豊臣政権の実務派としてとても素晴らしく又法律にも公正をきす気持ちが強すぎて朝鮮出兵の際軍監としての論功行賞も厳しいので在韓の武将から不平不満がかなり出るほど厳格な人でした。(^ー^*)ゞ
しかしながら、結局最後は負けてしまいました。なぜなのか?家康との器量の差もありますが、それ以上におそらく秀吉亡き後官僚の悪弊が出てしまったと思うからです(^ー^*)ゞ
これはある面内務官僚の宿命なので仕方ないと思いますが、やり方を見ているといかんせん人情に遠い人もしくは疎い人ではなかったかと私は思うのです(^ー^*)ゞ又悲しい事に一番気にしていた武断としての実績はいつも失敗していてその事には余り反省がなかったように思えます(^ー^*)ゞ
もし彼に本当に豊臣家を繁栄させるつもりなら秀吉の子飼の武将達を敵に回す事はしなかったと思うしもう少し人間の洞察力があったと思うのです。結局この事が島津氏や小早川氏の裏切りに繋がったと思います。あの時を見ていると信頼されていると思っていた人に裏切られています。
これも三成の不人気と自分の立場を使った高圧的な態度が原因と思います。現代で言うと親会社の人が子会社に偉そうな態度でいるのと同じ物なのかも知れません(^ー^*)ゞ
私はこれを見ていつも思うのはぎりぎりで信頼できる人物はそんなにいないけれども立場で寄ってくる人には気を付けて話しないと本当に大事な人も失うかもしれないと気を付けています(^ー^*

PS.軍歴としてはイマイチですが朝鮮からの撤兵の際や補給の段取りは戦争中の日本軍よりもはるかにマシです(^ー^*)ゞ餓死者がいないと言う点でも特筆すべき点です。又処刑場に行く際のどが渇き白湯が欲しいと言うと足軽に柿を食べるかと言われたら柿は痰の毒だからいらないと言ったと伝えられています。そしてこう言ったそうです。大事を思うものは首を切られるその直前まで命を大事にし本意を遂げるもので言ったそうです。傲岸不屈でありあっぱれな武将であると私は思います。
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テーマ:戦国武将 - ジャンル:学問・文化・芸術

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反植民地体制レジスタンス

謎の情報工作者「r」さんの「反植民地体制レジスタンス」に関する論考です。ご本人の承諾を得て以下に転載させていただきます。なお「r」さんは実在の人物です。私(喜八)の「別ハン」だと誤解されている方がいらっしゃるので明言しておきます。「r = 喜八」ではありませ 喜八ログ【2006/09/05 17:36】