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戦国武将Ⅰ
私は、狭い視野で行動する事が多くまた人を見る目がないので(^ー^*)ゞ歴史上の人を参考に行動?するようにしているのですが、ここからはいつもと違ってレベルの低い私が勝手に人物論評したいと思います。ヽ(^ー^)ノ私が最初に歴史上の人物に興味を持ったのは、小学生低学年の時で真田幸村でした。大阪冬の陣・夏の陣で負けると分かっていた豊臣家に忠義を(いろいろな見方がありますが…(^ー^*)ゞ)果たすと同時に回りからの誘惑に負けず論理的な意思の通し方や又狸親父と言われている家康相手に善戦をし一時は命を奪う直前まで行く姿そして部下の心をよく掴み最後の最後まで一糸乱れぬ赤備えで戦い武勇を世間に轟かせました。
子供ながらこの姿に私は感動し弱い者いじめや誘惑に負けて生きてはいけないのだと心に誓ったものでした。けれども大人になると誘惑に負ける人が多い事多い事ヽ(^ー^)ノ 又誘惑も多い事多い事ヽ(^ー^)つい最近の選挙での心変わりの政治家の多い事多い事ヽ(^ー^)ノ (ですから私は反対意見を述べた政治家を評価するのですが(^ー^*)ゞ)今の日本にはこの様な武将は先を見通せない愚鈍な武将として評価されるかもしれませんが、私は評価するしこの様な人についていきたいと思うのです。

PS,大阪城籠城の際まだ無名だったため、いろいろな献策が退けられたそうです。その時父昌幸の言葉が浮かんだそうです。どんな優秀な献策でも無名の貴方は信頼されまいと言う言葉が…
同じ意見でも無名の人には世間が冷たいのは古今東西変わらないものかもしれません(^ー^*)ゞ
私はその事から肩書きと言うのも大事ですが意見としてはいつも聞くようにしているのです(^ー^*)ゞ
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

この記事に対するコメント
真田昌幸
のりさん、こんにちは。
いわゆる「戦国武将」の中で、私が一番好きなのは「真田昌幸」です。
武田・織田・豊臣・徳川という大国に翻弄されながらも領地を守りきった「真田三代」の生き方は、現在の日本人の手本になるのでは? とさえ思っています。
【2006/08/21 11:47】 URL | 喜八 #wYAyu/Y2 [ 編集]

喜八 さんへ
コメントありがとうございます
昌幸氏は舌を巻く策謀家でした。信義心もあまりない人ですが(武田家再興のみ別です)
それでも生き残る方法を考えたと言う点では高く評価できます
後、二人の対象的だが立派な息子は歴史にも名を残し部下達にも慕われていた子供に育てた事は特筆すべき事と思う
【2006/08/23 09:24】 URL | のり #- [ 編集]


> 信義心もあまりない人ですが

この点はいささか疑問があります(笑)。

> 昌幸は秀吉から「表裏比興の者」、と評された。これは、昌幸が優れた智謀を有し、それを以て家名を存続させるために多くの大名家を巧みに渡り歩いていったことを評するものである。現代の「卑怯者」のニュアンスより智謀を誉める意味が強い。

「真田昌幸 Wikipedia」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%B9%B8

また関が原の戦いの際の「第二次上田合戦」で、数千の寡兵をもって3万8000ともいわれる徳川秀忠軍を迎え撃って上田城を守りきったことから判断すると、真田昌幸は部下から絶大の信頼を受けていたことが分かります。
仮に真田昌幸が信義なき者であったら、部下から裏切りが続出して上田城は簡単に落ちていたと思うのです・・・。
【2006/08/24 16:42】 URL | 喜八 #wYAyu/Y2 [ 編集]

秀吉
ちなみに昌幸を「表裏比興の者」と評した秀吉は、昌幸がお気に入りで側近に取り立てています。
【2006/08/24 16:45】 URL | 喜八 #wYAyu/Y2 [ 編集]

喜八さんへ
秀吉が表裏比興の者と言う事も私知っており又信長から鋼のような男だなと言われたと言う逸話も知っています(^ー^*)ゞ
そして私も実は彼の智謀としてては当代一と思っています。
で私の理由なのですが、小豪族として致し方ないと思うのですが武田家滅亡から6ヶ月で北条.上杉。北条。徳川と主を変えています。しかしながら当時の仲間で依田信蕃のような生きかたもあるとおもうのです。又私が特に思うのが墓があると行って嘘を言って名胡桃城を取った事です。執拗な性格の人に思えるのです。(ここが信之・幸村と違うところなのです}上田市史では天下の情勢の為と言っているが話がついているの嘘を言ってまで言う事は執念深く又取られたのが惜しいと思っているだけではないかと思うのです。
そしてこの後彼は義理堅い景勝を裏切って秀吉に走って行きます。しかもその前真田家が苦境の際6500の兵を差し出し助けてくれ上杉自身が徳川と戦うと言う意思を見せているのに2回裏切るのはいくら小豪族でもひどいと思うのは私だけしょうか?で後関が原ですが三成に前もって教えてくれないかと怒ったという書簡がありますが当時の心ある人はすでに予想していたと思うのです。細川忠興や黒田長政は予想しておりその対応をしていました。その意味では大きな意味での知略の人ではなかったのではないかと思うのです。
しかしながら、戦争には強くまた人間的な魅力も在郷の人にはかなり支持があったと思います。おそらく私の思っているここでの信義心と 喜八 さんの思っている信義心がずれているので見方が異なっているのではないかと思うのですが・・・(^ー^*)ゞ
喜八さんも歴史詳しいですね。昌幸というのは教科書に出てきませんからね(^ー^*)ゞ
このシリーズ続けますのでいろんな見方のコメント遠慮せずにバンバン書いてください
これが歴史好きな人間にはたまらないのですからヽ(^ー^)ノ 変態ではありませんよ
【2006/08/24 19:21】 URL | のり #- [ 編集]

信義
> おそらく私の思っているここでの信義心と 喜八 さんの思っている信義心がずれているので見方が異なっているのではないかと思うのですが・・・(^ー^*)ゞ

そうですね!
私のいう「信義心」は一族郎党のみに向かいます。
大名など権力者に対する「信義」はあまり考慮しません。

↓こんな感じです。

「ラスト サムライ」
http://kihachin.net/tips/samurai.html
【2006/08/26 17:51】 URL | 喜八 #wYAyu/Y2 [ 編集]

喜八さんへ
コメントありがとうございます
そうですね。信義の定義の違いですね(^ー^*)ゞ
けれども昌幸氏の生き残り策やしたたかさは今の日本に必要と思います
私もコメントにあるように当代一と思っています。
それを周りがどの位理解出来るか?でしょうね(^ー^*)ゞ
【2006/08/30 22:30】 URL | のり #- [ 編集]

ズルさ
のりさん、こんにちは。

私が真田昌幸が好きなのは、おそらく私自身の中にも昌幸的な「ズルさ」があるためでしょう。
佐藤優氏や鈴木宗男氏を支持するのも、その辺に理由がありそうです(笑)。

ちなみに歴史上の人物では『史記列伝』「孫子呉子列伝」の呉起に非常に強いシンパシーを覚えます。
ただし私以外の人で「呉起が好き」という人にはあったことがありません・・・。
【2006/08/31 17:18】 URL | 喜八 #wYAyu/Y2 [ 編集]

喜八 さんへ
いえいえ、昌幸的な感じには見えませんよ(^ー^*)ゞ
佐藤氏や鈴木氏を支持しているのはおそらく幸村的と思いますが…
私も支持していますし弱い人に感情を寄せるのは日本独特の最大の長所でもあり短所とも言えますが…私はこの感情を大事にしたいですね(^ー^*)ゞ
呉起のことは分からないのでコメントできないのですみません(*_ _)人
【2006/09/03 23:03】 URL | のり #- [ 編集]


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わびすけさん(※女性です)から「杭瀬川の戦い」のジオラマ模型画像を送っていただきました。ありがとうございます??。喜八さんこんばんはー。今テレビで放映中の山内一豊と千代の写真??と「杭瀬川の戦い」の模型を送ります。小さな馬や人が本当に上手く作られていました。 喜八ログ【2006/08/21 20:20】